AMEX (AMEX)
1990年(平成2年)5月頃加入 1995年(平成7年)10月頃退会 加入期間6年
この記事を書くために、保存してある過去の預金通帳の支払欄でクレジットカード分を調べてみました。
記憶と違っていて2枚目のカードはAMEXの通称グリーンです。
加入したのは、バブルに浮かれていたからですな。バブルの頂点の1990年に加入していますからね。
この頃は、ゴルファーのジャック・ニクラウスが「出かけるときは忘れずに」というセリフを言うTVコマーシャルがガンガン流れていたと思うんですが1980年代までだったかもしれません。
それから、記憶によると『なんとなくクリスタル』で有名人だった田中康夫がAMEXのグリーンを褒めたたえていましたね。
AMEXは「買い物限度額は設定されておりません」から、急な出費があっても大丈夫という、今から思えば巧妙なフレーズで会員を募集していました。設定はされているが、本人には知らされていない。限度額を超える場合は個別に事情を聴いてOKすることもあるというのが実態だったんじゃないかな。
加入してからしばらくすると請求書をオーストラリアの事務センターから送ってくるようになり、カードを使用した時の伝票がすべて同封されるようになりました。
お客様がサインした伝票をすべて送るから、確認するときに便利ですよというわけです。
ただし、この頃では、インプリンター(通称ガッチャン)で伝票を作成する加盟店はかなり少なくなっており、同封される伝票は、ほとんど後からAMEXがデータから印字して作成したものになっていました。
AMEXを止めた理由は、他のクレジットカード特にJCBが便利だったのと、景気が悪くなってきたから今でいう断捨離をしたということです。
ANA JCB (JCB)
1991年(平成3年)8月頃加入 1999年 (平成11年)10月頃退会 加入期間9年
当時は日本では特典航空券がもらえるFFP制度はまだ導入されておらず、ANAカードを持っていてもポイントがたまるだけだった。
そのポイントが飛行距離に応じて貯まったかは覚えていません。
5000ポイントためて小型のスーツケースをもらった。今も使ってますけど。
では、なぜANAカードを作ったかというと、お盆などで航空便が取りずらい時期にキャンセル待ちの順位が上がると聞いたからです。
同時期にJALカードではこのようなカード保有者に対するキャンセル待ちの優遇はやっていなかったと思います。
なぜJCBにしたかというと、VISA、AMEXは持っているので次はJCBかなということですね。
当時、住友銀行の口座の引き落としは「日立クレジット」名義で行われていました。住友VISAの引き落としは、ただ単に「クレジット」と印字されていました。住友VISAが「クレジット」のデフォルトであるということだったんでしょう。
使い始めるとJCBは売り上げの請求書への反映が早いことや、当時の日本ではクレジットカードが使える店では、まずJCBが使えたという加盟店の多さに気づき、結構愛用していましたね。
退会した理由は、他にも航空会社系のカードに加入し、そこをメインに使用するようになったため、断捨離しました。